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龍村の袋帯「ちとせ間道」

第三千三百四十七回目の作品として、龍村の袋帯「ちとせ間道」を紹介します。

すでに何度も帯合わせで使ってしまっているので、新鮮味が無いかもしれませんが、まだ単体では紹介していませんでした。龍村の間道は何度も紹介していますが、意匠はすべて間道でも織りの組織はいろいろです。この作品は、生地に高低がある畝織で、博多や八重山のミンサーみたいな感じですね。

ストライプの意匠は、経糸を何種類か替えて織るだけのものですから、人類が無地の次に思いついたはずで、世界のあらゆる地域で自然発生的に生まれたと思います。日本の染織史におけるストライプの意匠は、正倉院時代においては長斑(全く違う色を並べてくっきりさせたもの)と繧繝(似た色を並べてグラえーション効果を狙ったもの)です。色の並べ方で違うものと認識していたのは驚きます。

中世においては、主に中国から輸入された名物裂の「間道」で、近世においては、東インド会社がもたらしたインド製の木綿の「唐桟」です。近世以後、島経由で来たということで、初めて「縞」という言葉ができました。近世初頭においてはまだ木綿は高級品でしたが、日本各地で栽培可能となった江戸中期からは庶民の着物となり、川越などで木綿の縞が織られるようになりました。それが江戸で流行して、「江戸の粋」と結びついたために、縞→粋→フォーマルではない、というイメージが生まれてしまったのかなあと思います。

一方、「龍村」というブランドは皇室のローブの制作者ということもありフォーマルのイメージがあります。その龍村のフォーマルイメージが重なることで、縞模様をフォーマルの方に引き戻して、フォーマルの袋帯として使えるのではないかと思っています。

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いちばん上の写真は、帯の幅を写真の幅として撮ったものです。

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写真2番目は、近接です。部分的に入る緯の線は、絵緯糸として織られています。緯すべてにつながっているので、一定間隔で経糸で抑えられており、裏に渡り糸はありません。

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写真3番目は、タイトル部分です。間道のタイトルには、「日野」「青木」「弥兵衛」など実在する名物裂を踏襲するものもありますが、これは「ちとせ」というオリジナルのタイトルなので、龍村のオリジナルの配色パターンなのでしょう。

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写真4番目は全体です。袋帯の本来の織り方である袋状に織ってあるため、裏も同じ間道です。
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[ 2016/04/09 ] 西陣・綴 | TB(0) | CM(0)

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