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齋藤頴、光司兄弟の舘山唐桟

第三千二百二十四回目の作品として、斉藤頴、光司兄弟の舘山唐桟を紹介します。

唐桟は、近世に東インド会社から日本に輸入されたものです。なぜ「唐桟」というのかはわかりません。昔の本にはインドのサントトーマスから船積みされたからだと書いてありましたが、現在では否定されているようです。江戸後期から日本でも木綿の縞が織られるようになり、その中心地は川越で川唐と呼ばれました。

幕末にイギリスから機械で紡績した細い木綿糸が輸入されると、薄手でしっかりした現代につながる川唐あるいは野田双子が織られるようになりました。また昭憲皇太后が禄を失った武士のために東京授産所を設立し、川唐の技術も各地に伝えましたが、そこで技術を修得した1人が斉藤家の先祖でそれが舘山唐桟の始まりです。

当時は関東各地で織られていたはずですが、現代まで手織りで残っているのは舘山唐桟だけです。現代まで文化財として残ることができたのは、女子美の柳悦孝氏によって世間に知られるようになったからでしょう。本家の川唐は、最後まで残ったのは飯能の西村さんと言います。私の叔母が西村さんの娘さんの同級生ということで訪ねたこともあるのですが、川越郷土資料館のために手織りをし、ふだんは機械織りでした。現在は女流の個人作家が川唐を継承するということで手織り作品を織っているようです。伝統工芸を残す方法は、有名な文化人に本に買いてもらうか、美大を出た女性に継承してもらうかどちらかだと思います。

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いちばん上の写真は、反物の幅を写真の幅として撮ったものです。
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写真2番目は近接です。木綿の縞の歴史を考えると、東インド会社がインド産の木綿の縞を世界中に売り、イギリスにも大量に輸出されたのが、イギリスで産業革命が起こり機械で大量生産されるようになると、逆にインドが輸入するようになりました。そしてインドの木綿業者が壊滅し、ガンジーはその当てつけにスピンドルを回していたのです。

こんな感じの木綿の縞は、ユニクロに行けば木綿のシャツとしていっぱい売っているでしょう。しかし、それを手織りで織っている人は世界で何人いるでしょうか。雲南省の山岳民族とかブータンに行けば会えるでしょうか。先進国でやっているのは斉藤さんと趣味でやっている個人だけでしょうね。

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写真3番目は拡大です。

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写真4番目は、今日の作品に付いているラベルです。文末の最後の年代が昭和47年になっています。下のラベルは昭和59年ですから、その間に制作されたものということになります。作者は兄弟連名になっているので、先代豊吉さんの死後兄弟で継承し、ラベルを共用するなど連携して仕事をしていたことがわかります。

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写真5番目は、当店に在庫としてある別の作品のラベルです。文末の最後の年代が昭和59年になっています。昭和59年以後の作品で、私は平成になってから仕入れています。作者が光司1人に変わっています。それぞれ別の道に行ったんでしょうね。現在は代替わりしています。
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[ 2015/12/04 ] 各地の絣・紬 | TB(0) | CM(0)

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