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一の橋の絞りと刺繍の名古屋帯の帯合わせ

三千百七十六回目は、一の橋の絞りと刺繍の名古屋帯の帯合わせです。

加工がいっぱいしてあって、価格的にも高価な帯です。こういう帯の帯合わせは期待しすぎちゃって悩みますね。とりあえず紬と合わせてみます。帯が饒舌ですから、着物は無地系が良いという考え方もありますね。また、帯が高級だから着物も高級紬でないと合わないという考え方もありますし、帯が高級だから着物は安物でも高く見えるから大丈夫という考え方もあります。

矛盾に満ちて迷宮のような帯ですから、帯合わせもまた迷宮のようになるのでしょうか。今日はとりあえず迷宮にしない帯合わせをしてみます。迷宮にしないためには対立する要素を少なくしてやればいいのですから、帯の色と同じ紺色の紬を合わせました。

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いちばん上の写真は、松枝哲哉の久留米絣を合わせてみました。久留米絣には珍しい格子柄の作品です。格子では「絣」ではないだろうとも思われますが、格子の縦の線が途中何か所も途切れているので、やはり絣の技法を使っているのです。

久留米絣伝統の藍染の色に、さりげなく赤と黄色の線が入っているので、帯の配色との共通性を感じる一方、帯の模様の取り方の曲線と着物の格子の直線との対照性も感じて、良い帯合わせだと思います。良い帯合わせは、共通性と対照性の両方を含んでいるものですね。

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写真2番目は、大城広四郎の琉球絣(沖縄県で生産される平織の絣を「琉球絣」と定義している。)に合わせてみました。大城広四郎さんの死の直後、「遺作」というネーミングで発売されたものです。経緯共に手紡ぎ真綿の糸を使い、しかも細かい経緯絣を織っているという特別な作品です。

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写真3番目は、林宗平の塩沢紬に合わせてみました。林宗平が生きているころの作品です。現在も同じ意匠の作品が織られているようですが、現在のラベルは「林宗平工房」となっています。絣合わせが大変そうな、ちょっとでもずれたら全体が崩れてしまいそうな意匠です。

有栖川錦を思わせるカクカクしたデザインの鹿です。名物裂という中央の文化の意匠を、越後の織物が取り入れるということに矛盾を感じる方もいるのではないでしょうか。地方の文化は土俗性を大事にして京都の真似はしないでほしいですよね。なぜ林宗平はこんな意匠を好んだのか、その謎は「北越雪譜」を読んだら解けました。越後の織物は、地方性を大事にしたのではなく、京都の錦に負けない織物を織ろうとしていたのです。地方性を大事にするというのは近代の民芸思想以後のものなんでしょう。

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写真4番目は、絹久留米絣を合わせてみました。久留米絣は、戦後の日本人は木綿の絵絣を着物にしてきたり、布団にして寝たいという気持ちが無くなってしまったので、衰退の一途をたどりました。文化庁は、絶滅を避けるべく重要無形文化財の指定をしたのですが、それで技法を合理化することができなくなり、産地はかえって生活が苦しくなったと言われました。

一方、同じ立場の結城や大島の産地は栄えていたので、その差はなんだろうと考えて、木綿と絹の違いだろうということになりました。木綿でも絹でも絣を作る手間や織る手間は同じなのに、売値は全く違ったからです。日本人は絹は高い、木綿は安いと思いこんでいるので、手間は結城と同じでも木綿に50万も100万も出す人はいなかったからです。

というわけで、当時織られたのが絹の久留米絣です。しかし伝統に逆らったものはやはり邪道なのでしょう。やがて途絶えてしまいました。しかし、初めて絹で織ろうとした人々の心情を考えれば、期待を込めて絣も織も最高のスタッフを集めたと思うんですよね。

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写真5番目は、佐藤トシの南部紬を合わせてみました。岩手県岩泉町で手紡ぎ草木染も紬を織っていた作家です。扱っていたのは近藤伝でした。この作品は藍とクヌギなどで染めています。
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[ 2015/08/16 ] 帯合わせ | TB(0) | CM(0)

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