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花也の付下げ「丸華文にシダ」の細部

第二千七百十一回目の作品として花也の付下げ「丸華文にシダ」の細部を紹介します。

昨日の付下げの細部ということで、一応華文を中心に撮ってみましたが、絡まったシダの枝もご覧ください。太い枝と細い枝が、意匠というには不合理なくらい計算されていない角度で交わっているように見えます。自然の草むらの状態を整理(意匠化)せずそのまま写生したように見えます。

このような枝の自然な重なりを省略せずそのまま意匠にできる能力はすごいのか、私は正直なところ懐疑的です。意匠というのは見る人が苦痛が無い程度に整理すべきなのかもしれないので、無駄な能力なのかも知れませんものね。

どうやって、このような計算していない枝の重層的な重なりを、頭痛にならないように描くことが出来たのか、レイヤーを使って画像処理をしている方はお気づきのことと思いますが、アニメのセル画の原理を使っています。昔のアニメはセル(セルロイド製だったため)という透明のシートに別々に近景や遠景を描き、重ねて画像にしますが、現在の画像処理ソフトも同じ仕組みになっていて、レイヤー(層)を設定してから描くと、失敗してもその層だけ廃棄すれば良いので効率的に描けます。

じつはこの作品のシダの枝の部分は、セル画あるいはレイヤーの手法を利用していて、まずシダの枝に糊を置き、それを完全に乾かし、その後さらに別のシダの枝に糊を置き、また乾かして完成させているのです。2つのレイヤーから成り立っているわけですが、それぞれのレイヤーに描かれたシダの枝の意匠は、おそらくすっきりした意匠なのです。それが重なったとき、それぞれは意匠として意識的に統合させていないため、自然のカオス状態が表現できているのです。

どの部分が同じレイヤーで、どの部分が別のレイヤーなのか、全体を眺めるとわかりますね。相手の存在を無視するような角度で交わって重なっているのが別のレイヤーなのでしょうね。

とても科学的なやり方だと思います。写生とは何か、意匠とは何か、ということを科学的に教えてくれていますものね。私はそういう意匠の存在意義を認めるからこそ、この作品が今ここにあるわけですが、実際に着る人はどうなんでしょうね。

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いちばん上の写真は、オクミの華文を中心とした近接です。太いシダの枝は、細いシダの葉の上に、相手を無視するような角度で重なっています。自然状態では当たり前のことですが、1枚の絵として描くときは描きづらいものです。画家は、このような自然を描くときは、写生とは言いながら頭の中で整理して描いているものだと思います。レイヤー的な思考をすることで、自然のカオスがそのまま描けているのです。

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写真2番目はマエミの華文を中心とした近接です。

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写真3番目はマエミの華文を中心とした近接です。

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写真4番目は後姿の2つの華文を中心とした近接です。
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[ 2014/05/07 ] 友禅 | TB(0) | CM(0)

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