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野口(倉部さん)の名古屋帯の帯合わせ続き

第二千六百十八回目の作品は、昨日の野口(倉部さん)の名古屋帯の帯合わせ続きです。

今日は倉部さんの帯を紬に合わせてみます。紬は無地か縞か格子か絣ですが、もっとも絵画的な絵絣であっても技法上の制約が多く絵画性が高いとは言えません。そのために絵画性が高い友禅染の帯とは補完性があって相性が良いですね。

一方、紬の着物には金箔を使った帯を合わせてはいけない、と信じている人もいますね。金彩はフォーマルであり紬はカジュアルですから、両者を同時に使うことはTPOが矛盾するということになるのでしょう。それが本当かどうかも試してみます。

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いちばん上の写真は郡上紬を合わせてみました。郡上紬というのは、経緯とも手紡ぎ真綿糸、草木染、手織りという紬ファンが喜ぶ要素を全部そろえた紬です。しかしながら郡上紬の本当の魅力はそんなことよりもセンスの良さですね。色が綺麗で透明感があるのです。

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写真2番目は秦荘紬を合わせてみました。現在は「秦荘」という地名はありません。秦川村と八木荘村が合併して秦荘町になり、さらに愛知川町と合併して愛荘町となっています。「秦」という語は帰化人を連想させ織物の里にふさわしいですが、それが消えてしまったのは残念です。

元々は近江上布の産地ですが、現在はその技術を流用して秦荘紬、秦荘帯(麻)、近江ちぢみ(麻)などが織られています。今回は、帯のクリーム色と着物の水色の配色の美しさを狙って帯合わせをしてみました。

余談ながら、近江上布の行商であった伊藤さんがつくった会社が伊藤忠と丸紅、八木荘村の家屋敷を売って東京に出た堤さんが西武グループの始まりですから、この狭い地域からすごい人が出ていますね。

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写真3番目は南部古代型染を合わせてみました。盛岡の蛭子屋(有限会社小野染彩所)で製造小売りしている藍染です。蛭子屋は江戸の初めごろ藩の御用染をするために京都から南部藩に招へいされたのが始まりということです。そのような事例はどこでもあったのでしょうが、たいていは近代までに廃業してしまったのでしょう。しかしこの蛭子屋だけが、近代に小野三郎という人物が輩出し彼が中興の祖となったために現在まで続いているのです。

かつては藍の栽培も自前だったそうですが、現在は佐藤さんの阿波藍のすくもを買っているそうです。上手に染めた本当の藍の色は透明感があって美しいですが、結構個性があって帯合わせしづらい時もあります。この例はどうでしょうか、試してはみましたがぴったりというほどではないですよね。

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写真4番目は大城永光さんの琉球絣を合わせてみました。赤い色の紬はきれいですが、年齢制限があって売りにくいです。あまり帯合わせにも使えないのですが、倉部さんは赤も受け入れますね。

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写真5番目は久米島紬を合わせてみました。普通の久米島紬ではなく、モロと言われる経緯共に手紡ぎ真綿の糸を使ったものです。普通の久米島紬は経糸は玉糸ですが、モロは値段も高く普通の3倍ぐらいします。素材の値段の違いだけではなく、経糸が手紡ぎ真綿だと張力を掛けすぎると伸びてしまいそうで、絣を合わせるのが難しいのでしょうね。

この絣の意匠を見ると、反物の全面について斜めに絣模様がつながってくるわけですから、ずれないように織るのは難しそうですね。帯御合わせについては、泥染の焦げ茶とクリーム色でとても合っています。泥染で真綿の紬の素朴さと帯の金彩は対極ですが、高価な紬の実際のTPOは純粋なカジュアルとは思えませんから、金彩で緩和するという考えで良いと思います。
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[ 2014/02/04 ] 帯合わせ | TB(0) | CM(0)

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